愛宕山にあるNHK放送博物館全景。

■NHK放送博物館 (2013/05/24)

 せっかく愛宕神社にお参りしたのだから、ついでにNHK放送博物館を見学してくる。筆者は、博物館の類が大好きな人間なのである。因みにこの施設は、月曜日と年末年始が休館。開館時間はAM9:30〜PM4:40で、見学料は無料である。入口でNHKの受信料をちゃんと払っているかどうかの面接があるので、注意するように!・・・というのは冗談だから真に受けないように!!!

 ところで、筆者はテレビをほとんど見ない人だ。家にはJCOMのCATVが入っているが、朝昼晩のNHKニュースと天気予報、大相撲以外は見ない。電気代が勿体ないので、映像の垂れ流しもしない。徹底的にテレビには無縁の人間なのである。

 そういうヒトが意見する立場では無いのであるが、NHKの大河ドラマについてひと言。毎年なんだか物凄い金をかけて制作しているようだが、いい加減ネタも出尽くしたし、もうそろそろ企画そのものを見直ししても良いのではなかろうか?大河ドラマなんて、「忠臣蔵」と「平家物語」を年ごとにフリップフロップで放送した方が、経済的で安心して見ることができるように思える。特に「忠臣蔵」なら、「水戸黄門」並のベタなストーリー展開と、国民受けする仇討ちモノなので、多少役者がダイコンでも一定の視聴率が稼げるだろうに。

 それでも新しいテーマに挑みたいというのであれば、いっそ「卑弥呼」なんちゅーのも面白いかもしれない。ほとんど資料が残ってないから、脚本はやりたい放題だし、CG使えばそこそこの迫力も楽しめる。この線なら、「仁徳天皇」ってのもアリだな。ハワードホークス監督の「ピラミッド」みたいな映画のノリで、仁徳天皇陵建設を軸とした権謀術数の物語だ。これも面白そうだぜ!

 本題とは全く関係の無いハナシになってしまいますた・・・

 今回は展示物の写真をいっぱい撮ってきたので、淡々と貼っていく。なお、館内はかなり暗く、コンディションは悪い。ましてやコンデジでの撮影だ。画質も悪い。ISOを 800 〜 1600 程度に設定して撮ったので、多少画像が粗いのはご勘弁願いたい。


S.G.ブラウンの12インチスピーカー。1925年(大正14年)物。

ウェスタン373型ダブルボタンマイクロホン。1925年(大正14年)物。

GE製真空管送信機に付いていた銘板。なんかこう、「機械!」って感じがするよね。

もうこれは説明不要の逸品。高柳式テレビの復原模型。1926年(大正15年)物の復原。いわゆる「イ」の字である。丸いブラウン管って味わい深くていいよなぁ。。。因みにこの復原模型のブラウン管には、NEC製のレーダー用ブラウン管が用いられていた。NECのロゴが旧ロゴだったので、復原模型のブラウン管自体、相当古いものだろう。バックアップはあるのかなぁ?余計な心配をしてしまう。

左は電池式2球ラジオ(1925年・大正14年)。右は電池式単球ラジオ(1925年・大正14年)。木箱入りっていうのが渋いし、真空管を露出させてデザインの一部にしている所がニクい演出だ。まあ、ただ単に交換しやすいという理由なんだろうけどね。。。

これは、展示用のプレートがハレちゃって、何だか良くワカラナイのだが、おそらくラジオでしょう。アタリマエか・・・四角いループアンテナ部分には「GECoPHONE」の銘板が付いている。因みに学研では今でも教育用として同じようなループアンテナを使用した「磁界検知式鉱石ラジオ」のキットを販売している。

電池式7球ラジオ(1926年・大正15年・左下)、ダブルボタンマイクロホン(1925年・大正14年・右上)、さぐり式鉱石ラジオ(1925年・大正15年・左上)が並んでディスプレイされたテーブル。

さぐり式鉱石ラジオ(1925年・大正14年)。本体上部に位置しているのが、黄鉄鉱などの「鉱石」だね。それを金属の探針で押さえつつ、中央のダイアルを回して感度が最大となるところを探すのだ。鉱石と探針の接触位置、接触時の圧力等で感度を調整するところから、「さぐり式」と呼ばれている。レシーバーの型もレトロで良いなぁ。。。

電池式6球スーパーヘテロダインラジオ。筐体中央には「JUNOLA」と書かれた銘板がある。TOKYO JAPAN製。家具然とした佇まいがグッドですぞ!

電池式6球携帯型ラジオ。1925年(大正14年)製造。スピーカー組み込み式。さらにトランクの蓋にアンテナを収納するというギミック。銘板には「RCA Radiola 24」とある。

MH・マイクロホン(1931年・昭和6年・左)と、並4球ラジオ(1930年・昭和5年・右)。因みに、「並四」の語源は、「並みの真空管(3極管)を4本使っている」という意味。何かこう、「並みの真空管」って言う表現が香ばしいよなぁ。。。

4球ラジオ(1933年・昭和8年)。ようやく良く見かけるレトロなデザインになってきた。

円盤録音機(1939年・昭和14年)。テレフンケン社製品をモデルに作った国産品とのこと。「終戦の詔書」は、この型の録音機とマイクで録音されたそうである。カッティング部分のメカが凄いね。

終戦の日、玉音放送を予告するアナウンス原稿と、玉音放送前後のアナウンス原稿。玉音放送予告アナウンスは、8月15日午前7時に放送。玉音放送前後のアナウンスは、同日正午に放送された。

玉音放送予告アナウンス原稿(1/3)。

玉音放送予告アナウンス原稿(2/3)。

玉音放送予告アナウンス原稿(3/3)。

玉音放送前後のアナウンス原稿(1/3)。

玉音放送前後のアナウンス原稿(2/3)。

玉音放送前後のアナウンス原稿(3/3)。

天皇陛下が玉音放送をお聞きになったラジオ。RCAビクター社製の5球スーパーラジオだったのですな。

玉音盤。1945年(昭和20年)。昭和天皇の「終戦の詔書」を録音した円盤。ナント!窒素ガスを封入したシールドケースに、紫外線・赤外線をカットするガラスを嵌めこみ、常時4℃に保つ恒温ケースで展示されている。

玉音盤のレーベル部分。日本電氣音響株式会社の製品が用いられていた。

国民型2号受信機。1946年(昭和21年)製造のもの。この頃の製品になってくると、今でもオークションあたりでチラホラ目にすることがある。展示機は4球の再生式ラジオ。感度が今イチだから、長いアンテナが必要になる。

1951年(昭和26年)の肩掛け(ショルダー)型テープレコーダー。ケース内部にハンドルが内蔵されているところから、おそらくゼンマイ式駆動装置を搭載していたものと思われる。

肩掛け(ショルダー)型テープレコーダー(1951年・昭和26年・左上)、国民型2号受信機(1946年・昭和21年・右上)、「鐘の鳴る丘」の台本原稿(1947年・昭和22年・左下、「英会話」のラジオテキスト(1946年・昭和21年・右下)。

をを!「未来世紀ブラジル」にでも出てきそうな装置だね。ワイヤー磁気録音機(1946年・昭和21年)。若干文字がかすれているが、「WESTERN CHICAGO」と読める。「Electronic Memory」との表示もある。

国産テープ録音機(1950年・昭和25年)。鉄製ケースで重量35kgというヘビー級。メーカーは勿論、「東京通信工業」である。

東京通信工業社製テープ録音機の銘板。うっ美しい!この色、このデザイン、このロゴ!名称が「テープコーダー」となっている。「クリア・ボイス」の文字が泣かせる逸品!

アメリカ製のテープ録音機(1949年・昭和24年)。「Magnecorder」の文字が刻印されている。ダイアルが並んでいる装置は、おそらくミキサー。

マイク3種。左は主としてインタビューに用いた棒状のムービングコイルマイクロホン(1952年・昭和27年)。中央は、G型ベロシティーマイクロホン(1952年・昭和27年)。これぞ「マイク」って形が良いよね!右は77DX型マイクロホン(1949年・昭和24年)。この型は指向性を変えられたそうである。

オールウェーブラジオ。メーカーはゼネラル。1948年・昭和23年製造。中波と短波の2バンドが受信できる5球スーパーラジオとのことだが、短波放送って昭和23年に受信が「許可」されたんだねぇ。。。

交流式5球スーパー。1949年・昭和24年製造。さすがに再生式ラジオは性能が低いので、スーパーヘテロダイン方式に変わっていった。

AM-FMハイファイラジオ。1958年(昭和33年)製造。FM放送が開始されたのが、この頃だったということ。筆者と同じ歳である。メーカーはナショナル。マジックアイが光る!ハイファイという言葉も懐かしい。今はWi-Fiになってしまったが・・・ウッディーかつプラスチッキーな感じが、昭和レトロしている。

このカバみたいなツラをした脱力系のカメラは、展示パネルがハレちゃってるので詳細不明だが、初期のテレビカメラ装置と思われる。しかし、和むね、この形。

テレビの時代が始まる。左はベアードテレビ(1949年・昭和24年)。実験のためイギリスから輸入した家庭用テレビで、ラジオ機能も付いていた。中央はTVK II型(1952年・昭和27年)。NHKとメーカー数社とで試作したものだそうだ。ブラウン管は工業用の7インチ丸形管を使っているところが渋い。右はテレトーン(1948年・昭和23年製造)。これも実験用としてアメリカから輸入したテレビで、同じく7インチの丸形ブラウン管を使っている。

テレバイザーというシロモノ。1931年(昭和6年)製造。ニポー円板方式の機械式テレビ受像機だそうだ。右の小窓につけた直径10cmの拡大レンズで映像を見るようになっているとのこと。ここまでレアでレトロな製品になると、一見して何に使うものなのかもワカラナイ。筆者には、暖房装置のように思える。

14インチの白黒テレビ。1961年(昭和36年)製造。この時代の製品になってくると、筆者もリアルタイムで使用していた。メーカーはゼネラル。テレビチャンネルの「選局ダイヤル」がちゃんと有る。今のヒトは、「選局ダイヤル」なんて言ってもワカラナイだろうねぇ。。。

20インチのカラーテレビ。1975年(昭和50年)の製造。「IC BRITERON」の表示があるので、東芝ブライトロンシリーズであろう。家具調テレビってのも一時流行ったなぁ。お金持ち家庭のシンボル的存在だった。

小型テープレコーダーで有名な「NAGRA IV-L」型。シルバーの筐体に整然と並んだダイアル類が美しい!因みにNAGRA IV-S型などは、今でもオークションに出品されることがあるが、数十万は下らない。

FUJINON TV ZOOM LENSを搭載したテレビカメラ。ようやく、今の時代に戻ってきた感がある。

14インチの白黒テレビ。1958年(昭和33年)製造。当時のテレビは、やっぱりこの足付きのデザインだよな!メーカーはNEC。欲を言えば、ウサギの耳に似たラビットアンテナも搭載してほしかった。

SONYのPT-5型ショルダー録音機。ゼンマイ駆動から解放された製品。

展示パネルがハレちゃって、詳細は判らないけど、大艦巨砲時代のテレビカメラ。この重厚長大さに、「漢(オトコ)」を感じる。

余りにも有名なSONYのトランジスタ・ポータブル・テレビ(左)と、フィルモ16ミリカメラ(右)。フィルモのカメラは1953年(昭和28年)製造で、ゼンマイ駆動方式。

PT-3ショルダー録音機(1959年・昭和34年)。これもゼンマイ駆動方式。当時、電池駆動がいかに難しかったかが判る。

受信契約第1号のテレビ。1952年(昭和27年)の製造。アメリカ、ハリクラフター社製の17インチテレビで、当時の価格は28万円とのこと。スピーカーは筐体側面奧に付いている。

17インチの白黒テレビ。1955年(昭和30年)の製品。テレビの組み立てキットなるものも有り、価格は10万円程度だったとのこと。この型のテレビは、リアルタイムで使っていたよ。正面に「PREFER VISION」の文字が見える。

これは放送博物館の展示物では無くて、筆者のコレクションなのであるが、昭和30年代の真空管式テレビ本体に貼付されていた、調整つまみの機能一覧である。筆者は小学生の頃、真空管式テレビやラジオを分解するのが好きで(変なガキだ・・・)、これも分解した際に取っておいたものだ。懐かしいなぁ、、、まだ持ってたんだ。
拡大

NHK 1型 モノクロテレビカメラ。手作り感満点の板金感覚が良い感じだ。

NHK放送博物館見学の帰りは、愛宕隧道から神谷町に出た。

<< Menu Page



Copyright (C) Studio Pooh & Catty
1996-2013