■超ひも理論を疑う (2008/03/19)

 既出「迷走する物理学 (2008/02/14)」「それは間違ってさえいない (2008/02/20)」でも取り上げたが、最近になって現代物理学のあり方を問う書籍が立て続けに発売されている。本項「超ひも理論を疑う」は、その中でも最新刊である。この手の本を、筆者は密かに「懺悔本」もしくは「暴露本」と称しているが、実はこの「超ひも理論を疑う」は、それらの中でも最も早期に書かれたものであった。ただ、和訳が遅かったため、既出の本が先に発行されてしまったというワケだ。

 おそらく「超ひも理論」について、一般向け書籍としては最初に問題を提起したであろう本書は、それでも結構穏便な表現で記載されており、あまり過激さは無い。カバーにも記載されているように、本書は「最先端理論のすばらしさとその弱点を、健全な懐疑主義の立場から鋭く検証する」内容となっている。一応、一般向けのポピュラーサイエンスの形態を採ってはいるものの、内容については極めて精緻かつストイックに書かれており、キレイなイラストや判りやすい図版を期待する人には向かないであろう。理工系出身で、量子論にそれなりの知識が無いと、理解が難しい部分も多い。

 本書の内容は、現代物理学に至るまでの量子力学の発展の模様を俯瞰し、最後に超ひも理論の問題点を鋭く提起するという内容となっている。300ページ余りのこの本は、ハッキリ言って265ページ「第17章 空虚な理論?」から、俄然オリジナリティを発揮する。全体の12%の部分に、筆者が言いたいことが、まるで中性子星のような高密度で記載されているのだ。この部分を読むのは痛快だ!

 本書の中で著者は「見えも触れもしないものでは、想像の飛躍に注意せよ」という、フランスの有名な化学者ラヴォアジエの警句を引用し、超ひも理論およびM理論、メンブレン理論が既にそのような「想像の飛躍」の中に陥ってしまっていると警告する。また「探し求める悦びが見つける楽しみより強ければ、隠れた世界が常にその中にある終わり無き知の格闘に、我々はどこまでも喜んでいそしむ」とも述べている。ここで強調しているのは、ひも理論を極めている人たちの活動、鬼のような計算、数式との格闘そのものを否定しているのでは無いということだろう。むしろ問題なのは、「理不尽な艱難辛苦に満ちた不当にも思える世界で、宗教的とも言える信仰が持続している」ような状況となっている現代物理学の置かれた立場を危惧しているのだ。

 超ひも理論の大御所で、M理論の生みの親でもある天才エドワード・ウィッテンは、超ひも理論を称して「完全に間違っている理論から、こんなにも多くの名案が生まれるとはありそうには思えない」と語ったとされる。かように超ひも理論は美しくシンプルなのである。しかし、その美しさに惑わされ、本質的なコトを間違えていないのか?と著者は問う。最後に記載された天才数学者ヘルマン・ワイルの言葉が印象的だ。

 「私の仕事はつねに真理と美を結びつけようとするものだったが、どちらかを選ばなければならないときは、たいてい美をとった。」

 著者のローレンス・M・クラウスは理論物理学者。内容はストイックで濃いとはいえ、一般の人にも親しみやすく読めるよう、工夫が凝らされている。また、一般書ではほとんどお目にかからない「モジュライ場」なる単語も出てきて、それなりに読み応えがある。現代物理学マニアの方にはお奨めの一冊である。


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