リストマーク 府中基地跡(2003年04月)

写真1:府中基地パラボラアンテナ


写真2:府中基地構内

 京王帝都京王線府中駅の北側、府中清瀬線(小金井街道)を北上すると、府中の森公園が右側に見えてくる。その先の公園北側は、フェンスで囲まれた中に雑木林が広がっており、中に入ることができない。敷地内には所々に低層住宅の廃墟が点在している。フェンスには「国有地につき侵入を禁ず。関東財務局立川出張所」という看板が架かっており、厳しい。ここが、かつて旧帝国陸軍燃料廠として設置され、終戦後は米軍が司令部を置いた府中基地の、通信施設と米軍住宅の跡である。

住所は東京都府中市浅間町一丁目、Google Maps上での位置は、下記の通り。
府中基地跡

 上述したように、府中基地は1939年に旧帝国陸軍燃料廠として設置された。その名の通り、戦時における航空燃料、自動車燃料の備蓄基地として設置されたようである。終戦後は米軍の管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置される。現在、府中の森公園に隣接する航空自衛隊府中基地は、米軍により接収された土地の一部を返還して設置されたものだ。

 その後、1965年に開催された東京オリンピックに合わせ、東京代々木にあった米軍住宅、通称ワシントンハイツの代替地として、関東村とここ府中基地が利用されることになる。1973年には、通信施設を除く基地全体が米軍より返還され、府中の森公園や生涯学習センター等の各種施設が建設された。しかし、公園北側には、まだ撤去されていない米軍住宅跡と通信施設が、半ば廃墟と化して放置されている。

 府中基地跡は現在ではフェンスに囲まれおり、中に入ることはできない。しかし、その周囲を歩くことにより、敷地内部の雰囲気を掴むことはできる。敷地内には、南側の部分、すなわち府中の森公園に面した場所に、通信施設跡と思われる建物が12〜13棟前後点在し、敷地北側には低層(2〜3階建て)の集合住宅跡が5棟ほど残っている。そして、敷地内のほぼ中央には、巨大なパラボラアンテナが2本、北側を向いてほぼ水平に固定されたまま放置されている。この通信設備が現在も使用されているのかは不明。WEB上に掲載されている記述を見ると、現役で使用されているとの記述も見受けられるが、外観を見る限りでは、既に使われなくなってから久しいようにも思われる。

写真3.敷地内北側に位置する集合住宅跡から、敷地中央のパラボラアンテナを望む。掲載した住宅跡は比較的小さい間取りと思われ、独身寮に近い造りとなっていた。建物外壁にはツタが絡まり、屋上には雑草が生えていた。この写真は都営浅間町二丁目アパートの敷地内より撮影したもの。


写真4.敷地内北側の集合住宅を別の方向から撮影したもの。こちらは低層2階建ての集合住宅で、間取りも若干広そうである。建物の状態は程度の良い廃墟といった感じで、荒れてはいるが、構内の道路は意外と整備されているようだ。この写真は、敷地に隣接する建売住宅街よりフェンス越しに撮影したが、立て込んだ市街地から敷地内部を見ると、まるで別世界のように見える。


写真5.敷地内ほぼ中央に位置するパラボラアンテナ2基。その後ろには、巨大な電波塔が建っている。これらの施設が現代でも稼動しているのかどうかは不明。パラボラは北向きに固定されており、ほぼ水平状態で固定されている。左側に見える建物は、写真4に示した低層住宅群の一部。


写真6.パラボラアンテナのアップ。良く見ると若干錆びが出ている。しかし、廃墟と言うには状態は良く、現役で使用していてもおかしくないレベルかもしれない。直径は非常に大きい。実測できないので正確にはわからないが、近くで見るとかなり迫力がある。


写真7.敷地内北側にある集合住宅跡。これは3階建ての独身寮タイプのもの。付近の駐車場より撮影した。ご覧の通り、壁面一面にツタが生い茂っており、ベルギー象徴派主義の絵画を見るかの如くである。


写真8.都営浅間町二丁目アパートの駐車場より、敷地内部を眺めたところ。右手前は3階建て、その奥に2階建ての集合住宅跡が見える。建物間の間隔はかなり広く取ってあり、整備されていれば気持ちの良い空間であったと思われる。


写真9.敷地の一番北側に位置する集合住宅跡。規模的には最大のものと思われる。3階建てのタイプで、北側一面に同じ形の窓が連なっている様子は、刑務所を思わせる。ここまで荒れ果ててしまっているのに、撤去されないのが不思議だ。


写真10.3階建て集合住宅跡の壁面のアップ。とにかくこのツタの群生がすごい。放置しておくと、こうまで蔓延るものなのかと、関心してしまう。


写真11.2階建て集合住宅のエントランス部分のアップ。入り口上部のガラスにステンシル文字で「882」と記載されているところが、いかにも米軍住宅らしい。建物自体は極めて機能的に出来ており、余分な装飾は一切無い。


写真12.敷地中央部の広場。2階建てと3階建ての集合住宅が見える。広場には芝生も植わり、のどかな雰囲気が漂う。建物に沿って桜が植えられているところもあり、ちょっとした花見もできそうだ。しかし、完全に無人の空間なので雰囲気は異様。道路沿いには、所々に黄色い消火栓が配置されている。


写真13.基地敷地の南側部分、府中の森公園に隣接する地域の内部。現在は建物は残っていないが、整備された道路が敷地内部に向って延びている。その様子は、調布飛行場付近にある関東村と同じ雰囲気だ。そう言えば、街灯の形も同じであった。センターラインの両側には、今までに積もり積もった落ち葉が堆積する。


写真14.写真13の付近に建つ廃墟群。基地南側には、通信施設として使用されていたと思われる廃墟が点在している。樹木が生い茂っており外観は隠れてしまっているが、区画に沿って数棟が見受けられた。写真のうち、右側の建物は、府中の森公園北側に通る一本木通り沿いに建っているもの。


写真15.敷地の一番南側、一本木通り沿いにある最も大きな建築跡。部分的に4階建てとなっており、内部は倉庫もしくは工場のような広い空間となっている。大きな設備を入れてあった建物のように思われる。


写真16.写真15の建物の入り口部分。内部はガランドウのようである。


写真17.敷地の南側に建っている建造物の窓。北側の居住区と異なり、南側の建造物は全て窓が厳重に金網で覆われていた。現役時には、なんらかの設備が入っていたものと思われる。


写真18.敷地の南側から電波塔とパラボラアンテナを望んだところ。府中生涯学習センターの裏側のフェンスより撮影。パラボラアンテナは、この場所からでは裏側が見える。右側には大きなコンクリート製の給水塔が建っている。




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