Funky Goods Official Greeter "Yukimaru"



 波多 利朗のFunky Goodsホームページは、1996年8月20日に一般公開されました。その後、4度に渡るサーバ移転の末、現在は大手プロバイダが運営する、ごくフツーの、それでいてちょっとマニアックなサーバに落ち着いています。

実はこのHP、つい先日までは、東京・神保町の怪しげなビルの中にある、ギガビットの光回線に直結されたPCを1台占有して運用されていました。たかだか個人の趣味のホームページで占有サーバとは、何と贅沢な!!!しかし、諸々の事情により、2011年5月に、現在のサーバに引っ越しました。おそらく、このサーバが終の棲家になると思っています。なお、2011年5月現在の格納コンテンツファイル数の概算は、総計11,002ファイル、総容量は約7.6GB程度の規模になっています。

 このページは、元々筆者の専門分野であったパームトップ機、それも中国・台湾圏で製造された「謎のパームトップ機(謎ぱー機)」を紹介するサイトとして企画されました。HP公開当時、PC WAVE誌上にて「変な」連載を持っていた筆者は、その頃続々と登場してきたパームトップパソコン、PDAの類を紹介していましたが、それらの集大成的なページを作ろうと思ったのです。しかし、企画内容とは裏腹に、実際できあがったページは趣味のクルマと写真、それに電卓とロシアカメラと猫まんがという、全く方向が異なるものになってしまったのです。

 もっとも、謎のパームトップ機の企画をあきらめてしまったのではありません。現在までに収集したOLDパームトップ機、PDAの数は膨大な量に上り、また極めて入手が困難な機種も含まれているため、これらの情報を体系的に整理し公開することは、筆者のライフワークと位置付けていることに変わりはないのです。しかし、このような目的がある以上、いい加減な仕事はできず、やるからには完璧を期したいという気持ちばかりが先行して、現在に至るもまだ未完成といったのが現実です。

 まだ死ぬまでには若干時間があると思いますので、今後謎ぱー機のページもそこそこまとめることができると思います。それまでの場つなぎ的意味も込めて、他のコンテンツもご覧になって頂ければ幸いです。それでは、本WEBサイトに掲載されている代表的なコンテンツについて、以下簡単にご紹介させて頂きます。




リストマーク Schwarzschild Cafe(シュヴァルツシルド・カフェ)

 一言で表現すれば、「ブログみたいなもの」です。でも、ブログツールを使うのは個人的に抵抗感があるので、HTML 1.0のタグだけをバキバキ使った単純なページ構成で、日常の様々な出来事をマタ〜リと取り上げて行く、脱力系のコラムです。最も最近はフラッシュビデオなんかを使い、デジカメのおチープな動画も掲載してますので、HTML 1.0だけと言うのは若干不正確ですね。このページは、2005年2月に開設し、以来2010年現在5年間も続けていますが、途中病気療養のため、長期間のお休みが入ってます。

 書きたい時に書きたいコトを書くページですので、不定期更新が基本です。また、内容も「ど〜しようも無い」ものがほとんどで、作るのも読むのも時間の無駄!と言い切れるコーナーとなっています。一応、企画シリーズとして「退廃的互換機趣味」のようなものも存在しますが、原則的にノンジャンルを目指しています。自己満足の極みと言えるコーナーでしょうねぇ・・・




リストマーク FIAT 500

 若干大げさな表現を取らせて頂くならば、まさにFIAT 500は「人生を変えたクルマ」とでも言いましょうか?購入時はそれほどでもなかったのですが、年を経る毎にハマって行くというのは、やはり車の持つ魅力だと思います。とにかく、こればかりは実際に体験(乗車)したことが無ければ、その魅力は絶対にわからないと思います。人生に分岐点があるとすれば、まさしくFIAT 500を購入した時がそうだったと感じます。

 と、ことこのクルマに対しては最大限評価して止まない筆者ですが、周囲の目は至って冷たいものです。とある友人はポンコツと言い切り、またとある方は誰も下取らないクルマと評しておりました。まあ、この際他人がどう思おうと全く関係ないのです。筆者とFIAT 500との関係は、それこそもう彼岸の境地に達してしまってますから。。。とにかく、最近はもう、コイツに夢中ですね、正直申しまして。そんなわけで、FIAT 500のページは、個人的には大変思い入れが深かったりするのです。
ヽ(´ー`)ノ

 2005年、一世一代の決心をし、FIAT 500のエンジン、ミッション完全オーバーホールを実施しました。この模様は、「FIAT500のオーバーホール!」として、ほぼリアルタイムにホームページ上で公開されました。その第二段として、外装オールペン&内装一新計画を実施いたしました。これで当面できるだけのメンテナンスは完了してしまい、現在は落ち着いておりまつ。





リストマーク Honda BEAT Club 656

 Honda BEATという、「軽四輪でミッドシップでフルオープントップのスポーツカー」を購入したのは、筆者がハコスカ(Skyline GC-10)を売り払って暫く経ってからでした。順番ですと、FIAT 500を購入する前年、1998年のことです。当時乗っていたハコスカは、キャブの調子が大変悪くて如何ともしがたい状況となってしまいました。また、大きな車だったので取り回しに苦労していました。そんなワケで、次の車は小さくてユニークなものにしたかったのです。

 BEATをセコハンで購入したのは、ほどんと勢いからでした。丁度お世話になっているホンダディーラーに上玉の個体が入荷したので、あまり考えずに購入したのです。購入時は絶対シルバーメタリックが良いと決めていたので、入荷したグリーンメタリックをオールペンしようかとまで考えました。しかし、これはこれで英国車っぽくて良いかなと思い直し、そのまま乗っています。今考えると、塗り替えなくて正解でした。

 最近ではFIAT 500に夢中となってしまい、乗る機会も少なくちょっとかわいそうですが、それでも久しぶりにフルオープンで運転してみると、持っていて良かったと思う、そういうクルマです。セル一発で起動し、内装も現代のクルマと全く変わらないので、レトロ趣味の筆者としては物足りないことも事実ですが、その構造が空前絶後であること、エンジンの「唸り」がまるでフェラーリのように体感できること、そしてドライビングポジションが「逝っちゃってる」ことなど、魅力的な点も多いですね。幌も全部張り替えましたし、タイミングベルトの交換済みですし、ホンダディーラーの人が「これほどのBEATはそうは無い」と太鼓判を押してくれるほどエンジンの調子も良いので、今後も大切に乗ってあげようと考えています。一つだけ気がかりなのは、最近になって塗装がヤレて来たことです。これも頃合いを見て、オールペンを施したいですね。

 ・・・なんて書いていたのも昔のこと。今はもうBEATは手元にありません。筆者の知人で、某大手自動車会社にお勤めされているスーパーエンジニア(社内での地位も最高に近い方)にお譲りしました。この方であれば、きっと大切に乗って頂けるだろうと思ったからです。クルマにとっては、乗らないで放置しておくのが一番健康に悪いのです。少しでも良いから、毎日使えば、長持ちもしますし調子もよろしい。そういった意味で、筆者にはもう持ちこたえられなくなってしまった、というのが正直な所です。余りにも構ってあげる時間が無く、これではクルマがかわいそうですし。。。BEATとの涙のお別れは、Schwarzschild Cafe(シュヴァルツシルド・カフェ)BEATとお別れ (2005/05/27)に記してあります。





リストマーク 廃墟系

 当WEBサイト上で、隠れた人気コンテンツの一つです。その異常とも思えるアクセス数は、趣味を同じくする変人(失礼!)がいかに世に多いかを、暗黙のうちに物語っているような気さえします。予めお断りしておきますが、別に筆者は廃墟マニアというほどのものでは無く、ましてや心霊スポットとか肝試しスポット等は嫌いです。このコーナーは、純粋に打ち捨てられた風景を撮影したいという、ただそれだけを目的として制作したものです。「系」と付けているように、廃墟のみをターゲットとはしていません。現在も現役で使われている建物も、その雰囲気が廃墟に近ければ、掲載しています。

 このコーナーでは様々な場所を紹介していますが、筆者が一番気に入っているのは、「帝國産金興業大仁鉱山跡」ですね。その異様な外観と規模は、一目見たら忘れることができないものでした。残念ながら現在は完全に取り壊されてしまいましたが。。。また、改修前の「信越本線丸山変電所跡」「山形県尾花沢市の廃工場跡」なんかも、個人的には割とお気に入りです。

 写真では、「根岸競馬場一等観覧席跡」が比較的良く撮れており、個人的には気に入っています。このページに掲載した写真は、とあるゲームプログラマーの方から、自作ゲームの背景に使用したいとの依頼を受けました。「熱海サボテン公園ロープウェイ跡」とその詳細ページは、その昔ロープウェーイの設置を請け負った「安全索道株式会社殿」のご協力を得て、営業当時の資料を掲載し、資料的な性格になっています。このページは、ロープーウェイに興味を持つ方たちが運営しているサイトのBBSにも紹介されました。

 色々な場所を取材しましたが、ルポルタージュとしては、一番最初に掲載した「六合廃村」が、最も印象に残っています。荒れ果てた廃村の中で、ただ一つ道が残っており、それが村の墓地に通じていたこと、またお墓はキレイに掃除され、彼岸のお花が飾られていたことが、今も鮮明に記憶に焼き付いています。。。。





リストマーク 禁断のロシアカメラ

 厳密に言えば「ロシアカメラ」という表現は正確では無く、「ソヴィエトカメラ」と称するのが正しいようです。旧ソ連時代に製造された、バルナック・ライカコピー機をメインとしたコレクションです。筆者とロシアカメラとの出会いは、1998年、FED ZARIAを入手した時でした。当時は、例のチョートクさんの名著「ロシアカメラがむせぶ夜は」が出版される前年で、日本にロシアカメラブームが訪れる前のことでした。当然、このような珍妙なカメラを愛でるのは変人・奇人のマニア層しかおらず、ましてや公式紹介本の類はほとんど出ていなかったため、旧ソ連同様、厚いベールに閉ざされていた世界でした。

 そんな時に使い始めたロシアカメラは、その価格と造りからは想像もできないほどシャープな写真が撮影でき、一発で気に入ってしまったのです。とはいっても、そこは旧ソ連のこと、品質のばらつきは言語道断レベルで、それこそ使い物にならない個体も多々あったことも事実です。このページでは、FED、KMZの製品のライカコピー機を中心に紹介したものです。製品群としては、1950〜1960年代のものが最も多くなっています。

 このページをオープンしてから暫く経った2003年、学研よりムック執筆の依頼が来ました。ロシアカメラブームも峠を越えた頃のことです。筆者は別にカメラマニアではありませんが、コレクションページを見て執筆陣に加わってほしいとの依頼を受けることにしました。こうして発売されたムックが、「学研カメラGET!スーパームック12 ロシア製カメラ&中国製カメラの攻略ガイド」です。この本、いったいどの程度出たのかは定かではありませんが、内容がマニア指向だったこともあり、現在ではAmazonでも在庫切れの状態です。どうも、筆者が執筆した本は、モバイル本といいこの本といい、ことごとく絶版になる運命のようですな。。。。
┐(´ー`)┌





リストマーク 計算機博物館

 いつの間にか筆者のライフワークに組み入られてしまったコーナーです。元はと言えば、筆者の悪友であるRandy氏に感化されて始めてしまいました。電卓コレクターというのは、今現在でも極めてマイナーな趣味のようです。コンピュータやパームトップならまだしも、電卓は完全に文房具となってしまい、感心を寄せる人が皆無だからでしょう。しかし、電卓ほど、半導体技術の進化を良く表している製品はないと思います。

 「電子立国日本の自叙伝」を読んでも、電卓が半導体やマイクロコンピュータの発展に重要な役割を果たしたことが良くわかります。本コーナーでは、筆者が今までに、暇に飽かしてコレクションした電卓を一気に公開する場として設けられました。最初はデスクトップタイプの製品を、次にポータブルタイプの製品を、順次掲載して行く予定なのですが、今に至るもデスクトップタイプの一部しかアップできていない状況です。

 筆者宅には、カシオのポータブルタイプ電卓が、ほぼフルコンプで揃っていますし、Randy氏はCommodore製電卓を、ほぼフルラインナップで所有しているので、これらを合わせて公開すれば、かなりの迫力になると思います。しかし、如何せん時間が全く取れません。まあ、このページ作成はハッキリ言って盆栽趣味であり、筆者の老後の楽しみですな・・・・・





リストマーク マザーボードミュージアム

 DOS/V黎明期にPCの自作に目覚めてしまった廃人にとって、マザーボードは重要なアイテムでした。当時、PCといえばメーカー製品を高い金出して購入するというのが常識としてまかり通っていた時代に、部品を購入してきて組み立てる、なんてことは、思ってもいなかったのです。当然の帰結として、自作PC地獄にハマりまくることになります。毎週のごとく秋葉原に通い、新製品のマザーボードを購入しては、Windows 3.0が動いたの動かなかったので一喜一憂する、というのが、当時の一般的廃人の正しい日常生活だったのです。

 そんなわけで、筆者宅にはマザーボードが文庫本のように蓄積してしまいました。このコーナーでは、「初代IBM The PC」のマザーボードを初めとして、現在のPCアーキテクチャの原点ともなった歴史的な「IBM PC/AT」、電子暴走族垂涎のアイテムであった「Diamond Computer SystemsのFastBus VLB」、これ以上無いキワものとして、何人もの人柱を生んだ「AIR 486VP」等々、486時代のマザーボードから、今やカルト的存在となってしまい、古炉奈での茶飲み話には欠かすことのできない「PC CHIPS社のマザーボード群」まで、主としてベビーAT仕様のマザーボードを中心に掲載しています。

 筆者は当時、PC CHIPS社日本法人の社長さんであるピーターさんと親しかったこともあり、同社のマザーボードは試作品に至るまで入手することができました。同社は中国を中心とした世界規模のファクトリーを持ち、東南アジア圏の格安PC市場では大きなシェアを持っていたのですが、如何せん日本市場向けとしては品質管理に問題があり、結局撤退してしまいました。しかし、その製品群のユニークさでは他社の追随を許さず、PCの梱包ケースそのものを筐体として利用してしまうという「M591」や、その後ブームとなったベアボーンPCに盛んに用いられた、周辺機能を全てオンボードで搭載した初の製品「M741」など、将来を予見した製品が多かったのも事実です。





リストマーク 猫まんが

 筆者は猫を飼っています。名前は「雪丸」といい、これ以上無いくらいの雑種猫です。芸も無く良く食べ小型犬並の大きさに成長し無愛想ですが、それでもかわいいヤツです。猫好きの人間にとっては、それで十分なのです。かまうとそっぽを向くくせに、放ったらかしておくと甘えてくる、それが猫なのです。

 このコーナーは、町中に屯している猫の写真を素材に、4コマ漫画に仕立て上げた、完全お遊びぺージです。冗談半分に始めてみましたが、これが結構面白く、完全に自己満足でハマってしまいました。ただ、時間があり精神的にも余裕が無いと作れませんね。そんなワケで、忙しい最近は、更新も滞ってしまっております。

 本HPは、ジャンク中心のヲタクページで、訪問する方もそれなりの廃人が多いのですが、このコーナーだけは明確に「客層」が違うのが面白いところだと思います。





リストマーク 我楽多(ガラクタ)

 筆者倉庫にある品物で、カテゴライズ不能なものを集めて掲載するコーナー、それがこの「我楽多(ガラクタ)」です。その名の通り、もうホントにガラクタしか載っておりません。これはもう、見て頂く以外、説明のしようが無いですね。しかし、よくもまあこれだけくだらないものを収集したものだと、我ながら呆れてしまっています。

 一応、レトロ趣味の筆者としては、「昭和レトロ」的なものを中心に取り揃えているつもりです。当時、実際にリアルタイムで使用してきた物を、懐かしさのあまり購入した、という物も多いですね。色々ある中でダントツの人気を誇るものが「占い機(Secret Ball)」です。なぜかは判りませんが、とにかく問い合わせの多いこと・・・・一度などはフジTVの番組でも紹介されたくらいです。世の中、よくわからないことが多いですね。





リストマーク NISSAN Skyline GC10 (1970)

 筆者がその昔乗っていた旧車「Skyline GC10」を紹介したページです。GC10型、愛称「ハコスカ」は、車好きであれば知らない人はいないでしょう。現代の車は丸まっこいデザインが多いですが、70年代〜80年代にかけては、直線的なデザインが大流行でした。その中でも特に美しかったのが、このハコスカでした。

 サーフィンラインと呼ばれる、リアフェンダーの造詣は、その後のモデルにも踏襲され、スカイラインの一番の特徴となったものです。残念ながら、現在のスカイラインには、当時の面影は全くありません。この車はあまり長期間乗りませんでしたが、機会があればまた所有してみたいと今でも思っています。





リストマーク Memorial of Funky Goods Shop

 筆者は2000年〜2001年の期間、短時間ではありますがショップを経営していたことがありました。このコーナーは、開店していた当時を偲ぶメモリアルページです。Funky Goods Shopという名のこのお店では、筆者得意のジャンク品を並べておりました。詳細はページをご覧頂きたいと思いますが、片手間にやった割には、そこそこユニークな店ができたのではないか、と思っています。

 現在では、ショップが入っていた店舗の建物自体、跡形も無くなってしまいましたが、また余裕ができたら同じような店を道楽で経営したいと、密かに計画を練っているところです。





リストマーク 謎のパームトップ機

 さて、これが本HPの当初の目的であったメインコンテンツ「謎のパームトップ機」です。とはいっても、内容は一番整備されておらず、かろうじて概論と年表が掲載されているに過ぎません。これでは余りにも寂しいというわけで、このコーナーで紹介して行く予定のマシンの名称のみ並べてみました。先はまだまだ長いです。。。。

 技術評論社での連載掲載のおかげで、各端末の原稿と写真は既に用意出来ていますので、後は単にHTML化するだけなのですが、それが結構大変な作業なんですね。加えて、限られた紙面では伝えきれなかった情報を加筆する作業も入りますから、そうたやすいものではありません。

 今後、PDAはますます携帯電話に取って代わられようとしています。こうしたパームトップ機も、過去の遺物として忘れ去られる日も近いでしょう。その時までには、せめて電子的なアーカイヴという形で、これら日の目を見なかった端末のデータベースを構築することにしようと考えています。





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